通学風景
ショートケーキ編
みゆ


「あーと。これで全部かな」
スーパーで買い込んできた食材を、ショウゴは念入りにレシピと見比べて買い忘れがないか何度も確認する。
「なに? なんか作るの?」
「帰れ!」
「ひどい!」
いつの間にか背後に立っていたハルに、ショウゴが回し蹴りを喰らわした。元来反射神経がいいのか、すんでの所でハルがショウゴの攻撃をかわした。
「えー。なになに? 薄力粉に、砂糖、玉子に、バニラエッセンス。そんで生クリームかあ。察するに、お菓子だろ? お菓子作るんだろ! わーい!」
「帰れ!」
「食べてから帰るし!」
「やらん。いいから帰れ!」
「えー。俺、こないだ頑張ったじゃん? これでも一日中張り込みすんの大変だったんだぜ? つーか、なんか俺探偵みたいでカッコよくね? へへ!」
「お前はバイト先でレジ打ってただけじゃねえか」
「違いますー。品出しも前出しもしてましたー」
「帰れ」
「あんた帰れしか日本語話せないのかよ!!」
「あーーーーー! こんなうざいヤツに頼むんじゃなかった! たまたまターゲットがお前のバイトしてるコンビニを利用してたからって、安易に決めた俺がバカだった! とんだ人選ミスだ!」
「なー。この三色団子食っていいか?」
「話を聞け! それか帰れ!! このぬらりひょん! あぶらすまし!」
「ぬら……え? なに? 誰?」
「ほんっとお前はボキャブラリーが貧困だな! 死ね!」
「……すまない」
「ん?」
キッチンでハルと揉み合っていたショウゴは、いつの間にかコタツに潜んでいたモズに気がついた。
一体、いつからいたんだ……?
「あ! モズモズじゃんか。あんたも来てたの?」
「…………」
気さくに話しかけるハルとは対照的に、黙ってこくりと頷くモズ。
「なーなー。ぬらりなんとかってなに? 生き物?」
「……ぬらりひょんと言うのはな、江戸時代から伝承されている妖怪だ。鳥山石燕の絵が有名だな。勝手に家に上がり込んでお茶を飲んで居座るらしい。はは……まるで僕のことみたいだな。ショウゴは遠回しに僕のことを揶揄して言ったのかもしれないな……うっ、グス……」
「えっ! ちょ、泣くなよモズモズ。あー! ほら。ひどいぞショウゴ。モズ、泣いちゃったじゃねえか! 謝れよー!」
「お前らめんどくさい」
はたはたと静かに泣くモズと、ショウゴを諌めるハル。
その二人を背にして、お菓子作りを開始するショウゴ。
玉子と砂糖を手際よく混ぜ合わせる。
後ろで騒ぐ二人を綺麗にシカトして、慣れた手つきで順序よくお菓子作りの工程を進めていく。
薄力粉を投入し型へ流し込んだ所で、ハルがなにかに気がついた。
「なあ。もしかして、ケーキ作ってる?」
「今更かよ。相変わらずバカだな」
「うるせえな。ねーねー。出来上がったら俺も食べたいー!」
「やらん」
「うっわ! ケチ! ショウゴさんにはドケチ大魔王の称号を与えましょう」
「小学生かよ。これは人にあげるもんだ。だからお前にはやらん。バイト先のコンビニスイーツでも買って食ってろ! このぬらりひょん」
「おっと、モズの悪口はそこまでだ!」
「だからモズに言ってんじゃねーし! お前のことだよ!!」
「えっ!? まさかの俺のこと?」
「は! なんだ。僕のことじゃないのか。だろうと思ってたんだ。まさかこの僕がぬらりひょんだなんてあるはずがない!」
「うっせー。二人纏めて出てけ」
自分のことじゃないと分かった途端、踏ん反り返るモズ。
案外、繊細な心の持ち主なのかもしれない。
「んー。スポンジはこれでいいか。さてと」
ガサガサとポケットから小さな箱を取り出したショウゴ。
そこには、ピンクの小さな宝石が一粒、可愛らしく装飾された指輪が入っていた。
それを、焼く前のスポンジ生地の中にぽとんと落とした。
「オーブンもいい具合にあったまってるな……ん? 電話か?  
 なんだ、親父かよ。こんな時になんの用だ?」
うるさく鳴る携帯に、かったるそうに出るショウゴ。
「もしもし? ……はあ? なんだそれ、俺は知らんぞ。下に降りて来い? 嫌だバーカ。……母さんもいる? うわ、はい。ごめんなさい行きます」
母親に弱いのか、渋々ショウゴが階下の実家に戻る。
「おい、お前ら」
「なんすか」
「ケーキの材料になんかしたらブッコロス」
「やだショウゴさんこわーい」
「殺す」
「……分かりました」
「よし」
どこまで本気なのか分からないショウゴの猛禽類のような鋭い目つきに、こくこくと素直に頷くハル。

「なあ」
「なんだ?」
「さっきさあ。ショウゴのヤツ、ケーキに指輪入れてたよなあ」
「そうだな」
「あれってさあ、どういう意味なんかなあ」
「ふん。ヨーロッパの風習だな。指輪やコイン、陶器の人形をケーキの中に入れて、それが当たった者は幸運になれるという、所謂ゲームだ。占いの意味もあるらしいぞ」
「へえ……」
「ちなみに、指輪は結婚を意味している。なんだ、ショウゴのヤツ、誰か好きな女でもいるのか?」
「……俺、分かっちゃった、かも」
「なにがだ?」
「明日、誕生日なんだよ。その子の」
「ほう」
「俺も、なにか入れたいな」
何とも言えない切ない表情をするハルに、モズが何かを感じ取る。
「ならば、僕も入れてやろう」
「え?」
「ショウゴとハルの大事な女なのだろう?」
「いや、まあ。……うん」
照れ臭そうに、けれど、どこか淋しげに微笑むハル。
それに、モズがつられて苦笑した。
「では、僕はこれだ!」
「……五円玉?」
「そうだ! コインが当たった者は裕福になれるらしいぞ! 富が増えるのはいいことだ! ハーハハハ!」
ぽちゃんと、若干錆び付いた五円玉をスポンジ生地に放り込むモズ。
「指輪にコインか。俺、なんも持ってないや。どうしよっかなあ」
「なにか大事なものでいいんじゃないか? 大切なのは気持ちだぞ!」
「だよな! じゃあ俺は、これ!」
ハルが、学生鞄についていたヨレボロのお守りを取り出した。
「これな。俺の大事なお守りなんだ。ばあちゃんのお手製。これ入れるわ」
「な……。それは、ちょっと待てハ……」
シミだらけのお守りを躊躇なく上機嫌でケーキに入れるハル。
やってしまったものは仕方ない。
後ろより前を見るタイプのモズは、黙って見守ろうという結論に達した。見てみぬフリとも言う。
「あー。モズ。こんなところにいたー」
「は! お前はコウ! こんなところまで何しに来た!!」
ドアをバーンと開けて、遠慮なく部屋に入ってきたのは、モズの親戚でもあるハシバコウだった。
「おばあちゃんが、一緒に夕飯食べようって言ってたじゃないか」
「だが断る! なにしろ、僕はお前のことが大嫌いだからな!」
「俺も大嫌いだけど、おばあちゃんのことは大好きだから、呼びに来たんだよ」
「お前がいないなら行くが?」
「……ねえ。そんな生き方して辛くない?」
「う、うるさい! 僕はやらなくちゃいけないことがあるんだ!」
「それ終わったら帰るの? ちなみに、なにしてるの?」
「あ、ええと。ケーキに、大事な物を入れるっていう……てか、終わったから、モズ連れてっていいよ」
「終わってなどいない! まだまだこれからだ!」
「そうなんだ。じゃあこれ入れといて」
「……お札」
「うん。魔除けの。それじゃ、モズは連れていくね。バイバイ」
「お、おう。ありがとな!」
「僕は帰らないぞーーーー!」
「お邪魔しました」
長身のコウが小柄なモズを引き摺って、ショウゴの部屋から立ち去る。
それを見送りながら、ハルが律儀にお札をケーキの中に沈めた。
瞬間、ショウゴが部屋に戻ってきた。
「ったく! あのバカ親父ふざけんなよ! いつか絶対殺る」
そう独り言ちながら、ドアを乱暴に閉めるショウゴ。
よっぽどムカつくことがあったらしい。
「あれ? モズは?」
「コウが来て連れて帰ったけど」
「そうか。コウに感謝だな。ついでにお前も出てけよ」
「え。あ、うん……そうする」
「なんだ? やけに素直だな」
「ショウゴ……」
「ああ?」

「あいつ、喜んでくれるといいな」

ニカッと、ハルが笑うと。
虚をつかれたのか、一瞬だけショウゴがきょとん顔をした。
そして、彼らしくない。珍しく、優しい微笑みを浮かべた。
「そうだな……」
「じゃあな。俺、帰るわ」
「二度と来るな」
「また明日来るわー」
「俺の話を聞け!」
「そんじゃー」
さっきまで賑やかだった部屋は、今ではがらんどうみたいだ。
ショウゴ一人だけになった。
その代わり、ケーキの焼ける匂いが、まるであの子がいた頃のよう。
甘く優しくふんわりと部屋に満ちた。



□ □ □



次の日の昼休み。
ミオが教室の外へと出るのを見計らって、ショウゴが話かける。
「よう」
「あ、ショウゴ! どうしたの?」
「その……」
手に持ったケーキボックスはかなり目立ったようだ。
なにしろ、ワンホール分の大きさだ。
一緒にいたミオの友達が、ショウゴが後ろに隠したケーキボックスをめざとく見つける。
「あー。うちら、ちょっと用事できちゃった!」
「え?」
「ミオ! お昼ご飯、青山くんと食べなよ!」
「で、でも。みんなで学食に行こうって……」
「いいからいいから! うちら、空気読めるし!」
「無粋なことはしたくないしねー! ミオ、後で話、聞かせてね?」
「???」
はてな顔のミオに、クスクス笑いながら去っていくクラスメイトの女の子達。
それに、めんどくさいことになったなあと、溜め息をつくショウゴ。
もっとタイミングを図るべきだったかと後悔していると、ミオがにこにこと笑顔でショウゴの手を引っ張った。
「それじゃあ、ショウゴ。屋上行こっか」
「え?」
「だって、いいもの持ってるみたいだし♪ えへへ」
ミオの可愛らしい笑顔を見て、まあいいかと思えてしまう。
惚れた弱みだなあと考えながら、ミオに連れられ屋上に続く階段を上る。
五月晴れと言うのだろうか。
初夏に近い天気の青空の下。
ミオとショウゴは隣同士、一緒に座った。

「あのな。これ、そのな……」
「わ! ケーキ!? すごい! ワンホールも!! ショウゴが作ってくれたの?」
「いや、ほら。なんとなくだな。お前、今日、誕生日だろ? で、なんか、そのケーキ作りの風が吹いたと言うか……」
「嬉しいなあ。誰かにケーキ焼いてもらうのって、お母さんがいた頃以来だよ」
「ミオ……」
どこまでも青色で、どこまでも透明感が続く空の。
もっとその向こう。遠く遠くを見つめる眼差しのミオを。
抱き締めてやりたい衝動に駆られる。
けれど、寸でのとこで自重した。
自分は、一度。この子にフラれているのだ。
ケーキを焼いたことは、ミオが一人でいることを知っていたから。
自分が、もうミオの傍にいてやれないことを分かっているから。
未練がましいなと、自分で自分を嘲笑う。
けれど、ミオの笑顔で全ての負の感情が霧散してしまった。
「ね? 食べてもいい?」
「ここでか?」
「うん!」
「別にいいけど、切り分けるものねーぞ」
「お弁当箱についてるナイフとフォークがあるのですよ!」
「用意よすぎだろ」
「だって。友達とお昼ご飯食べてる時、おかず分け合ったりするもん。必需品だよー」
「そっすか」
「じゃあ。開けるねー! っ!? ひゃー! なにこれ! かわゆいっ! きゃー!!」
真っ白い、レースみたいな繊細でふわふわの生クリームの上。
そこに、色とりどりのゼリービーンズが散りばめられていた。
ピンクに水色。ミント色。
パステルカラーが白いクリームにとても映えていて、可愛い。
「すごーい! 食べるのもったいなーい!!」
「お前、こういうの好きだろ?」
「うん! 可愛いの、大好き!! ありがとう、ショウゴ」
ああ。こんなに心から笑ってくれたミオを見るのはいつぶりだろう。
あの一件以来、ミオは暗い顔をするのが多くなったから。
自分は、もう。笑顔にしてやれないと諦めてたから。
「いただきまーす。あむ」
もぐもぐと、幸せそうにケーキを頬張るミオを見つめて、自分も多幸感で満たされる。
「んぐ!?」
その時だった。ミオがケーキに混入した異物の存在に気がついたらしい。
まさか、早々に指輪を見つけられるとは。
もしかして、ミオと自分はこの先まだ付き合える可能性があると言うことかもしれない。
身を乗り出して、柄にもなくドキドキしながらミオを見守るショウゴ。
ミオの可愛らしい唇から吐き出されたのは。
お世辞にも綺麗とは言えない五円玉だった。
「え? なにこれ!?」
「ええ? あれ?」
「なんで五円玉が入っているの? うえーん! 口の中、金属の味がして気持ち悪いよお!」
「す、すまん! なにかの手違いで入ったみたいだ!!」
いつの間に、五円玉なんか混入したのだろうか。
昨日、色々あって慌てていたからかもしれない。
けど、五円玉なんか入るか……?
焦るショウゴに、申し訳なく思ったのだろう。
直ぐに笑顔になったミオは、次のカットしたケーキにフォークを刺した。
「あはは。大丈夫大丈夫! ちょっとビックリしただけだから。ええと。五円玉って縁起がいいって言うじゃない? だから、きっといいことが起こるってことだよ」
「すまない……」
「なんでショウゴが謝るのー! いいよいいよ! ケーキ作ってくれて嬉しいんだよ。でも、ほんとショウゴって料理上手だよね~。このケーキ美味し……ガリッ!」
「がり?」
「えー! なに? また何か入ってた~」
「(今度こそ指輪だ!)ミオ、噛むな、吐き出せ」
「う、うん」
ぺっと吐き出されたのは。
見るからに怪しいお札だった……。
「ちょ……これは……」
「なんでお札が……」
「ね。ねえ。このケーキ、どこで作ったの? 墓場? 心霊スポット?」
「俺の部屋だが」
「へ、へえ……」
「やめろ。なんだその顔。同情するような目で俺を見るな」
「ショウゴの部屋……もしかして呪われてる?」
「なワケあるか!!」
「……だって」
ミオがケーキの中からフォークで何かをほじくり出す。
フォークの先には、ぶらーんと。
薄汚れた厄よけのお守りがぶら下がっていた。
「な!!!」
「ね。お祓い行こう」
「え? マジか」
「うん。だって、ショウゴこんな悪戯するタイプじゃないでしょ? 絶対ヤバいよ。心霊的な何かだよ……おわかりいただけただろうか? だよ……」
「ええ……」
本気で呪われているのか!? 俺は!??
と信じかけた瞬間。
屋上の扉の隙間から、ハルがワクテカ顔でこっそりこちらを見ていることに気がついた。
(犯人はあいつか……)
「あの野郎!」
「わ! ショウゴ? どうしたの!?」
勢い良く立ち上がったショウゴは、風のように屋上から走り去る。
残されたのは、ケーキの残骸と。
ミオの手の平に乗せられた、ピンクサファイアの指輪だけ。

「……知ってたよ。指輪。最初に見つけたもん」
ポケットからハンカチを取り出して、丁寧に指輪についた生クリームを拭き取る。
「でも、言えないよ。ありがとうって。私が言う資格なんてないよ……」
ゼリービーンズのケーキも、ピンクの指輪も、なにもかも、自分の好みに合わせてくれたものだった。
嬉しくないワケがない。
世界のどこかに、自分のことをこんなに気にしてくれているひとがいることの幸せを噛み締める。嬉しい。
本当に、嬉しい。

「うん。可愛い」
薬指につけてみたら、色もサイズもぴったりだった。

私は、誰のことが好きなんだろう?
どうして、ショウゴのことをふったのに。
こんなに嬉しくて、幸せな気持ちになるんだろう。
へんなの。

もらっちゃっても、いいよね?
ほんとはダメかもしれないけれど。
これだけは、大切にしたいなあ。
だって、泣いちゃうくらい。しあわせだ。

将来、ショウゴの隣にはどんな女の子が立ってるのかなあ。

薬指のリングをそっと外して、青くて透明な風に吹かれながら。
まだ知らない未来を想像する。
ミオの瞳から涙が一粒だけ。
結晶みたい、ぽとんと零れた。