伝染ル
みくるやみっき


 カンナが昼食のパンを提げて一年三組の教室に戻ると、窓際の席から声がかかった。

「カンナ! ねえ、これ知ってる?」

 ななみ七海がスマホの画面をむける。この距離で見えるはずがない。カンナは七海に歩みより、スマホを受けとった。大型掲示板のスレッドが表示されている。スレッド名を声に出して読んでみた。

「かけてはいけない電話番号?」
「ま松っちゃんがね、これおもしろそうだからかけてみようぜって言って、いま一コ、いっしょに電話かけてみたんだよ!」

 はしゃぐ七海の隣で、まつだ松田が誇らしそうにする。高校一年生にもなって、電話一本かけたくらいで威張るようなことでもない。
 松田の隣、自分の席について、カンナはスマホに見入った。七海が指さしたのは、「宇宙おじさん」にかかる電話番号だった。
 カンナは机にスマホを置くと、サンドウィッチの袋を開け、かぶりついた。そうしながらも、七海にたずねかける。

「これ、どうだったの?」
「すごかったよ。おじさんがね、宇宙のパワーを送りますって言って、大きな声で、あーーーって叫ぶの。マジ笑えない?」

ふぅん? カンナはスマホの画面を指でスクロールして、スレッドを読み進めた。その指が、ひとつのレスのうえで止まった。

「ねえ、これはかけてみた?」

125 名前:本当にあった怖い名無し [sage] :2012/07/26(木) 15:22:06.37 ID:6kr8RQcK0
 03‐××××‐××××
 小さい女の子が出て、「わたしのくまさんさがして」って言う。こっちからなんて言っても、「わたしのくまさんさがして」しか言わない。
 しばらくすると、「みぃつけた」って言われて、電話が切れる。

 松田がカンナの手元をのぞきこみ、首を振る。

「まだだよ。かけてみる?」
「じゃ、これ、第一候補ね。二階の事務所の脇に、公衆電話があったと思うよ。昼食べたら行ってみよう」
「え、携帯じゃダメ?」

 七海のことばに、カンナはかじっていたパンを、紙パックの牛乳で流しこんだ。

「携帯の電話番号がむこうに渡っちゃうのは危ないよ。それにもし、有料の電話番号に繋がったら、電話代がかかってヤバいし」

 その点、公衆電話からの発信ならば、相手はだれがかけたかわからない。プリペイドのテレフォンカードか十円玉で通話料を払うから、電話代が余計にかかることもないだろう。
 カンナたち三人はそそくさと昼食を終えると、教室を出て、二階の事務所脇にむかった。
 公衆電話を使うのは、カンナも生まれてはじめてだ。三人で一枚ずつ出しあった十円玉を手に、受話器を取る。耳にあてると、ツーっという発信音が聞こえた。十円玉を投入し、スマホの画面を確認しながら、正確に電話番号を入力する。
 かけたとたんに怖い音が聞こえるのかもしれないし、さすがにカンナも緊張した。松田も七海も、不安混じりのわくわくした表情になって待っている。
 カンナはじっと、電話が繋がるのを待った。

 ぶっ……

 切りかえの音がして、電話のむこうの音が変わった。

「わたしのくまさんさがして」

 ぞくっとした。まるで、耳元でささやかれたような違和感があって、カンナは受話器を耳から離して、通話口を手でふさいだ。

「松田、繋がった!」

 そう言って、松田に押しつける。松田は笑顔で受話器に耳をあて、五秒ほどで七海に手渡した。そうして、強がってみせる。

「聞けばわかるって、ただの録音だよ」

 ほんとうに?
 カンナは受話器にあてていたほうの耳をてのひらで撫でた。あんな声を聞いて、松田が平然としていられるのが信じられない。
 舌っ足らずだった。カンナには小学三年生の弟がいるが、その同級生の女の子たちと同じくらいか、もっと幼い子の声だ。
 七海は受話器を手にしてすぐ、きゃーっと声をあげてはしゃいだ。受話器がカンナに戻ってくる。
 生理的に嫌だなと思った。それでも、もう一度だけ受けとる。何秒か経ったら、すぐに電話を切ろうと思った。
 カンナがふたたび受話器を耳にあてた、そのとたんだ。
 まるで、笑うような声音だった。

「みぃつけた」

 ブツッ    ツー、ツー、ツー……

 通話は切れていた。
 背筋をなぞられたような悪寒に、カンナは思わず受話器を見た。

「カンナ? どうかした?」

 七海の声に我に返って、カンナは受話器を置いた。戻ってきた二枚の十円玉を松田と七海に手渡して、平気なふりをする。

「すごいよ、掲示板のとおりだった。みぃつけた、だって。録音だとしても、よくできてるよね」
「えー? やだぁ、こわーい!」

 口にすることばとは裏腹に、七海は完全におもしろがっている。松田も同様だ。カンナはふたりと調子を合わせながら、冷や汗のにじんだてのひらをぐっとにぎった。

(どうしよう、マジで怖かった……)

 もう電話を切ったはずなのに、カンナの耳には、舌っ足らずな声がまとわりついていた。


 今夜は、ミートソーススパゲティ。放課後、カンナはスーパーで食材を買いこんで帰宅した。
 カンナの家は父子家庭だ。買い出しだけでなく、食事の支度から掃除、洗濯、その他あらゆる家事は、カンナの仕事だった。
 借家の玄関を開けると、リビングからピコピコとテレビゲームの音が聞こえてくる。買い物袋を手にリビングのドアを開ける。弟のかずし和志がこちらを見たが、いまは手が離せないようだった。

「ただいま。和志、宿題は?」
「学童で済ませてきた」

 カンナはリビングを抜けてキッチンに立つと、制服のうえにエプロンをしめ、手を洗い、手早く水を計って鍋を火にかけた。

「負けたぁ! くそ、姉ちゃんのせいだ!」

 和志は盛大に叫ぶと、ゲームを消して、キッチンに入ってくる。口ほどにも悔しそうではない。カンナの手元をのぞきこむ。

「今日の夕飯、何?」
「ミートソーススパゲティ」

 にんじんとたまねぎ、にんにくをざっくりと割って、フードプロセッサに放りこむ。カンナがトマトを切るあいだに、和志がスイッチを入れ、野菜をみじんぎりにする。

「これ、炒めればいいの?」
「うん、そう。頼める?」
「そんくらい、よゆーだぜ」

 和志はカンナの用意したフライパンに野菜をぶちまける。後手にまわったが、カンナは脇から油を入れてやり、木べらを手渡す。

「しんなりしたら教えて。挽き肉入れるから」
「おっけー」

 しいたけのみじんぎりを投入すると、和志は、うぇーっとイヤそうな顔をした。

「なんでしいたけ? マッシュルームは?」
「古くなるまえに使っちゃいたいんだもん」

 安売りの野菜や肉は消費期限が近い。カンナだって、好きで安売りのものを買うワケではない。父がくれる食費は月に三万円。物価の高い都内では、切り詰めないと生活できない。おかげで毎日、スーパーの特売チラシとにらめっこして買いものに行くのだ。
 フライパンをふるいながら、和志が窓の外に耳をそばだてた。

「……あれ? 姉ちゃん、雨降ってきた」
「え、ホントだ。父さん、傘持ってるかな」

 考えたところに、ちょうど、廊下で電話が鳴りだした。

「父さんかな」

 駅まで迎えに来いとでも言うのだろうか。
 和志は炒め物で手が離せない。カンナはさっと手を洗い、エプロンにこすりつけて拭きながら廊下へ出た。
 暗い廊下の端で、電話のディスプレイが白く光っている。父の携帯電話の表示かと思いきや、そこには見知らぬ名前があった。
 『ちよこ』
 ひらがなで、名前だけ。苗字もない。だれが登録したのだろう。父の知人か、それとも和志のはじめてのガールフレンドだろうか。

「はい、はしもと橋本でございます」

 電話に出て、相手の反応を待った。和志のガールフレンドなら、詳しい話を聞きださなきゃ。カンナがほくそ笑んだ、そのときだ。

「わたしのくまさんさがして」

 耳を打った声に、カンナはガチャンと乱暴に受話器を置いた。
 息があがる。全身に鳥肌が立った。
 偶然には思えなかった。どうやって、家の電話番号を調べあげたのだろう。