拡散希望
140字の死亡宣告
深澤えりか


美紗@misa_564219 •9月3日
【拡散死亡】この書き込みがTLに表示されたあなたは、必ず3日以内に死亡します。ただしこれをRWすれば、あなたが死ぬ確率は半分になります。また、あなたが死ぬ前に、この書き込みによる死者が108人に達した場合は、あなたは死を免れます。あと108人pic.writer.com/……




























9月1日 月曜日











 下校のチャイムが鳴った。
 わたしのクラスはとっくに帰りのHRを済ませていたけれど、教室にはまだ生徒が何人か残っていた。

 今日は9月1日。

 つまり夏休み明け最初の日だ。
 同じ予備校の夏期講習に出ていたり、夏休み中に個人的に会っていた子は別として、基本的にみんな40日以上ぶりの再会だから、思い思いに雑談していた。
 野外フェスがどうだったとか、親に嘘ついて彼と旅行に行ったとか、そんなたわいもないおしゃべり。
 なかでもひときわ高く響く声があった。

「乃愛(のあ)、そのネックレス可愛いね。どうしたの?」
「これぇ? えへへ、海斗(かいと)君が買ってくれたのー。乃愛のお誕生日だからって」
「いいなぁー。乃愛の彼氏はお金持ちで」

 自分の席に座っていたわたしは伸びをするふりをして、さりげなくそちらを見た。
 乃愛グループの子たちは、教室の後ろのロッカーがあるあたりでいつもたむろしている。
 なぜそこなのかは知らないけれど、たぶんホットカーラーの電源を入れるのに都合が良いからだろう。
 実際、乃愛はいま、友達――ゆうこと瞳とおしゃべりしながらも、くるくると髪を巻くことに余念がなかった。
 ロッカーの上にはブランドもののポーチが無造作に置かれ、手鏡やビューラーなどが散乱している。
 うちの高校では化粧が禁止されていた。
 だから女子が放課後に教師の目を盗んでメイクにいそしむのは、普通によく見られる光景なのだ。

 周囲をはばからない乃愛たちの会話の内容は、だいたい教師とか同級生の悪口、あるいは乃愛とその彼氏――同じクラスの能登海斗(のとかいと)の恋愛話に限
られた。
 まあ、それが良いか悪いかは別として、悪口と恋愛話って結局いちばん盛り上がるんだよね。
 いずれにしても、話の中心になるのは決まって乃愛。
 それから、乃愛が認めたゆうこと瞳なのだった。

「あっつーい」

 わたしは高く伸ばしていた腕をおろして、呟いた。
 ブラウスの第一ボタンを外すと、涼しい風が汗ばんだ肌を滑っていった。
 わたしが通う学校、私立桜仙(おうせん)学院高校では、教室の冷房を28度に保たなければならない決まりがある。
 冷房直下の席の人は、授業中に寒い寒いって言う。
 でもわたしみたいな窓際族(窓側の席に座ってる人のこと)にとって、28度の冷房なんて意味がなかった。
 カーテンの隙間から差し込んでくる日差しに、冷気がかき消されるからだ。

「……えりって、毎日ネクタイつけててえらいよね」

 正面からそう話しかけてきたのは、森崎(もりさき)千鶴(ちづる)だ。
 千鶴は前の席の椅子を反転させて座り、向かいあうようにして、わたしの机に頬杖をついていた。
 出席番号が前後の彼女とは入学式の日に席が近かった縁で、いまではいつも一緒に行動する間柄になっている。

「だってネクタイしてたほうが痩せてみえるんだもん」
「えり、普通に痩せてるじゃん」
「痩せてない。腹なんてブタだもん」

 謙遜ではなく、わたしは言った。
 厚生労働省が定めた基準なら痩せてる部類に入るんだけど、そういう常識は、必ずしも、女子高生のわたしたちには通用しない。

「あーあ。楽して痩せたいなぁ。……だって痩せてれば、顔が地味でもごまかせるもん」
「まあ、それは思うけど。……てかえり、さっきからなにやってたの? 学級日誌、一文字も書けてないじゃん」
「うーん」

 わたしはのろのろとシャーペンをとった。
 口を閉じれば、放課後の音が鮮やかになる。
 教室や廊下に響く気だるいざわめき。
 吹奏楽部の不協和音。
 1週間後には死んでいる、蝉たちの鳴き声。
 夏の終わりに特有の、陰気な喧騒に包まれながら、わたしは枠内に文字や数字を書き入れていく。

 日付:2014年 9月1日 月曜 晴れ
 日直氏名:深澤(ふかざわ)えりか
 朝礼時伝達事項:なし
 欠席者(理由):四辻美紅(よつじみく)(

 そこまで書いたところで、わたしは手をとめた。

 四辻さんが欠席した。
 ついに、来なくなってしまったんだ……。

「欠席理由……」

 わたしは助けを求めるように、千鶴を見た。
 千鶴はサイドポニーテールをほどいて髪をとかしていたが、わたしの視線に気がつくと、小声で言った。

「……風邪でいいよ」

 わたしは言われるままに、「風邪」と書きこんだ。
 だって他に書きようがない。
 みんなが見る学級日誌に、馬鹿正直に、「いじめのため」なんて書けるわけがない。
 ふいに、背中のあたりがざわついた。
 鬼のように吊りあがった目が。
 わたしを、じいっと見つめている。
 すうっと身体が冷たくなって、わたしは恐る恐る、後ろを振り返った。
 わたしは、ほっとため息をついた。
 視線を感じていたのは、錯覚だったらしい。
 乃愛たちは教室の後ろで、相変わらずケラケラと笑っていた。
 もちろん、わたしのことなんて見ていない。
 わたしは、あの子たちの眼中にはないのだ。
 良くも悪くも。

 気を抜きかけたとき、乃愛がふっとこちらを見た。
 わたしはどきっとした。
 焦るな。
 動揺してはいけない。
 わたしは自分に言い聞かせ、さりげなく、そしてできるだけ自然に、視線を教室の後ろの黒板へと移した。
 乃愛を見ていたんじゃないよ。
 はじめから黒板を見てたんだよ、とでもいうように。
 乃愛はすぐに興味を失ったように、わたしから視線を逸らした。
 わたしは学級日誌に視線を戻しながら、まだどきどきしている自分の心臓の音を聞いていた。
 乃愛の神経に触れてはいけない。
 嫌われてはいけないが、好かれてもならない。
 好きと嫌いは紙一重だから恐い。
 乃愛にとって、無関心の存在であること。
 わたしはそれが、このクラスで安全に生きていくための、もっとも確かな方法だと信じていた。
 そうでなきゃ、いじめられるからだ。
 四辻さんのように。

 今日の感想、と書かれた欄に適当にクマの絵を落書きしながら、わたしはぼんやりと考える。
 小学校からそういう仕組みなんだから、いまさら言うまでもないことだけれど。
 学校というのは弱肉強食の世界だ。
 まずクラスには、グループというものが存在する。
 ざっと分類すると、ピラミッドの頂点に君臨するのは、概して可愛く(あるいはかっこよく)、運動神経の良い目立つ系グループ。これはギャルグループともよばれる。
 その下に、普通グループ。
 わたしが属しているのはここ。
 超まじめというほどでもないけれど、先生に眼をつけられるほど問題児でもない。
 容姿も普通、成績も普通。
 そんな平凡な子たちが、普通グループになる。
 以下、地味だけれど頭の良いまじめグループ、人目を気にせずわが道をゆくオタクグループと続く。
 普通、別のグループどうしは互いに干渉しない。
 けれど、まれにいるのだ。
 クラスの誰とも打ち解けることができず、ピラミッドから弾かれてしまう生徒が。

 それが四辻さんだった。
 四辻さんにははじめから、友達がいなかった。
 そして自分から作ろうと努力する風でもなかった。

 こんなことがあった。
 入学して間もなく、新入生オリエンテーションのプログラムのひとつとして、遠足があった。
 5、6人の班を作る必要があったので、わたしは千鶴のほか、仲良し3人組の子たちと適当に組み、無事に班を結成した。
 みんな席を立って班作りに取り組む中、四辻さんだけはなぜか、銅像のように
自席を離れなかった。
 うつむいて、じっとしていた。
 お尻につきそうなくらい長い髪が、真っ黒なカーテンみたいに、四辻さんの横
顔に貼り付いていた。
 わたしはそれまで四辻さんと喋ったこともなかった。
 でも一人なのに放っておくのも可哀想だったので、班の子たちに断りを入れてから、四辻さんのところに歩いていった。
 四辻さんに警戒されないように、意味もなくにこにこと笑いながら、
「ねえ、一緒の班にならない?」
 と、訊いた。
 四辻さんはうつむいたまま、無言で首を横に振った。

 ぱらぱらぱらぱら。

 四辻さんの髪が揺れるたびに、机の上に、粉砂糖のような白い粉が落ちていった。

 頭垢(ふけ)だった。

 わたしは、そのとき初めて気がついた。
 髪質が強(こわ)いのか、ごわごわしているうえに、恐ろしく長い四辻さんの髪
の毛は、頭垢だらけだった。
 よく見れば黒いブレザーの背中にも、おびただしい量の頭垢がこびりついていた。
 わたしは見てはいけないようなものを見てしまったような気がして、「そっか」と、うわすべったような声で言うと、逃げるように自分の班の子たちのところに戻った。

 自分でもひどいと思う。
 でもわたしはそのときからすでに確信していたのだ。
 四辻さんが、集団になじめる人間じゃないことを。

 四辻さんはおとなしくて、ほとんど口をきかない。
 だけど影が薄いわけでもなかった。
 目につくというか、変な存在感があるのだ。
 授業中も休み時間も関係なく、四辻さんは机に広げたノートに、おでこがくっつきそうなくらい目を近づけて、一心不乱に何かを描いていた。
 四辻さんの席の横を通ると、鼠みたいな素早さでサッとそれを隠すので、四辻さんが何を描いているのかは、長いあいだわからなかった。
 だけど、ある日の授業中。
 先生が、「こら四辻! 授業中に漫画なんか描いてないでノートとれ!」と注意したことで、四辻さんが漫画とかアニメ好きであることが、一気にクラス全員の知るところになってしまったのだった。
 四辻さんは耳を真っ赤にして、震えていた。
 わたしは四辻さんの身になって考えたとたん、心臓がぎゅっと痛くなった。
 四辻さんのばか。
 ……なんで学校で描いちゃうの。
 家でやってれば、誰にも知られずに済んだのに。
 わたしは、すごくやきもきしていた。
 自業自得とは言わない。いじめはいつだって、いじめるほうが悪いに決まっているんだから。
 でも正論がどうあれ、この世に、不条理はある。
 古今東西、どこにだっていじめはある。
 だからせめて、いじめられるタイプの子は、隙を見せないように気を張っていなければならないのだ。
 その点、四辻さんには抜かりがありすぎた。
 身だしなみだってそう。
 長すぎる髪は手入れが行き届いてないし、体型はちょっと太めだし、制服のスカートは、ふくらはぎの真ん中ぐらいまであって、明らかに寸法を間違えている。
 化粧っ気がないのは別にいいとしても、お風呂に入っているかどうかも疑わしかった。四辻さんの周りは、いつもすえたようなにおいがした。
 蒸し暑くなってくると、それはよけい顕著になった。
 中間テストが終わったぐらいの時期から、四辻さんは、目立つ系グループの乃愛たちに、目をつけられた。